yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

2017年4月2日 礼拝メッセージ

四旬節第5主日 2017年4月2日

「今ここで生かされる」
ヨハネによる福音書11章17~53)

 

わたしたちの父である神と、主イエス・キリストからの恵みと平和があなたがたにあるように。アーメン

 

みなさん、おひさしぶりです。この度、この大麻教会の牧師としてお招きをいただき、今日から、みなさんと一緒に信仰生活を送らせていただきます。たいへんお世話になりますが、どうぞよろしくお願いいたします。

 

私にとって、この教会のTさんは、命の恩人です。かつて、若かりし頃、Tさんも私も旭川教会に通っていた頃、旭川教会のサマーキャンプが羽幌で行なわれた時のことです。私は、背泳ぎで気持ちよく、海を泳いでいました。そして、立ち上がって休憩をしようと思ったら、海底がなかったのです。いえ、海底がないわけはないですね。私の足が海底に届かなかったのです。そこで、溺れかけたのです。でも、その時、Tさんが、さっそうと現れて、私を助けてくださいました。Tさんがいなければ、今ここでの私はありません。

 

これからの働きでも、いっぱい失敗したり、ズッコケたりすると思いますが、みなさんに助けられながら歩んでまいりたいと願いますし、もしかしたら、私も、イエスさまの力により、みなさんをお助けできるようなこともあるかもと思います。ともに歩んでまいりましょう。

 

さて、私は、一昨日3月31日まで、前任地、旭川教会と深川教会の牧師として働いておりましたが、3月31日最後の最後まで、その働きをしました。と申しますのは、深川の教会員が3月28日に、地上の生涯を終えて、その葬儀が30日、31日、行われたためです。新しく赴任なさった西川先生に手伝っていただきながら、その勤めをいたしました。

 

その召され葬儀をした教会員は、実は、旭川の教会員である私の母の母親、つまり私の祖母でした。90歳の生涯でした。実は、先週の日曜日、祖母があまり良くない状態だから、お見舞いに行った方がよいということでした。

 

私は、火曜日28日に、旭川教会の別の教会員のお見舞いに行き、その病院で看護師さんからマスクをいただきましたので、そのついでに、祖母のところにもお見舞いに行こうかということで、深川に戻り、病院に行ったのです。そうすると、病院の先生が祖母の口から挿管をして、病室に来ていた叔父夫婦に、「もう呼吸もしていないし、心臓も動いていないので、このまま送ってもよいですか」と尋ねていました。「わかりました」ということで、臨終が宣言されました。

 

神さまが、私を病院へと導き、ちょうど祖母の臨終に立ち会わせてくださったのかなと思っていますし、人間的な見方をすれば、祖母は、初孫である私の到着を待って旅立ってくれたのかなとも思っています。28日の午後3時25分に召されましたので、翌29日は葬儀社と様々な打ち合わせや葬儀の準備と仮通夜、そして本来なら最後の仕事の予定であった旭川教会での水曜日の夕礼拝を行い、そして、30日にお通夜、31日に葬送式が行なわれることになりました。

 

これ一日でもずれていたら、新年度に差し掛かってしまいますので、なかなかややこしいことになりました。私の深川教会と旭川教会の責任は、3月31日までだったからです。一日遅ければ、4月1日新年度に差し掛かり、私の責任、私の仕切りで葬儀を行うというわけにもいかなくなりますし、土曜日は北見教会の礼拝に行かねばなりませんので、これもまた困ったことになるところでした。

 

早くなれば早くなると、準備が慌ただしくなりますし、旭川教会の水曜日の夕礼拝をどうしようかということになります。ちょうどよいのが3月30日お通夜と31日葬送式という日程でした。

 

そう考えると、神さまが長年働いた深川教会牧師として最後の働きとして、祖母の葬儀をさせてくださったのかなと受け止めていますし、祖母も私に葬儀をして送ってもらうことを望んでいたのかなとも感じています。

 

今回、祖母が召されたのに際して、一人の友人が、ルーテル教会の作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハの一つの作品の歌詞をインターネットで送ってくださいました。こんな歌詞から始まります。

 

「神さまが決められた時が、なによりもよい時。神さまの内で私たちは生き、活動し、在在するのだ。それが神さまのご意思であるかぎり。神さまのうちにあって、私たちは最もふさわしいその時に死ぬ、神さまが望まれるその時に。」

 

まさに、神さまが決められたその最もふさわしい時に、祖母はこの地上の生涯を終え、天の御国に旅立たれたと思います。

 

さて、バッハは、その作品で続けてこう言っています。

「ああ、主よ、私たちの心に刻み込んでください、私たちが死すべき者だということを。私たちが賢明になるために。あなたの家を整理しなさい。あなたは死ぬのだ。生き続けるのではない。これが永遠の契約。人は必ず死ぬ。そうです、主イエスよ、来てください! 」

 

ここで、「あなたの家を整理しなさい」と言われると、私はドキッとします。実は、今回、祖母の葬儀が入ったため、先週しようと思っていた引越しの準備が、何一つできなかったからです。4月12日に、深川からこの大麻に引越しなのですが、間に合うかどうか心配になってきています。

 

ということは置いておきまして、バッハは、「私たちは死すべき者だ」「あなたは死ぬのだ、生き続けるのではない」「人は必ず死ぬのだ」、そうしつこいほど「人は必ず死ぬ」ということを繰り返し語ります。そうです。バッハが言うまでもなく、私たちは永遠に生き続ける者ではなく、誰しも必ずいつか死すべき存在です。もちろん祖母のように90歳まで生きる人もいれば、若くして、あるいは幼いうちにその日を迎える人もいるでしょう。でも誰しもがいつかは必ず死ぬのです。

 

中世の修道院で、修道士たちは、ラテン語メメントモリ、日本語にするなら「汝の死を覚えよ」と言って挨拶を交わしたと言います。死すべき自分、限りある自分、そのことを心に刻んで生きる。それが「汝の死を覚えよ」という挨拶に込められた意味でしょう。

 

その死すべき私たちに、今日の福音書のみことばで、イエスさまはおっしゃいます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

 

このイエスさまのみことばを私たちが受け止めるため、当時の人たちの復活についての理解を、少し説明させていただきます。

 

当時の宗教者たちの福音書によく登場するグループで、サドカイ派ファリサイ派の二つが挙げられます。このうち、サドカイ派の人たちは、復活なんてものは存在しないと考えていました。人は死んだら眠りについて、無に帰って、それで終わりだという信仰を、彼らは持っていたのです。それに対して、ファリサイ派の人たちは、「いや、人は死んだら眠りにつくが、神さまがもたらされる終わりの日に復活する」と信じていました。つまり、「復活などない」とするサドカイ派と、「終わりの日に復活する」というファリサイ派と、異なる二つの考え方に分かれていたのです。

 

エスさまが、死んだラザロについて、「あなたの兄弟は復活する」と、ラザロの姉妹であるマルタに対して告げられた時、マルタが「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と、イエスさまに向かって答えているのは、こうした背景があります。つまり、彼女は、ファリサイ派が教える終わりの日の復活を受け止めていたのでしょう。

 

さて、イエスさまはどうだったのでしょうか。イエスさまも、復活を信じていましたし、人々に復活について教えられました。では、ファリサイ派の人たちと同じ理解だったのかというと、そうではありませんでした。そのことが、はっきりと示されているのが、今日先ほどお伝えしたみことばです。もう一度、お読みいたします。

 

「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」

 

ここでイエスさまは、もちろん人が復活するということについて告げておられます。ですから、「復活などない」と伝えていたサドカイ派の人たちとは、イエスさまが違った理解であることは、私たちもよくわかるでしょう。では、復活を信じていたファリサイ派の人たちとは、一体、どこがどう違うのでしょうか。

 

ファリサイ派の人たちは、マルタが言うように、「終わりの日の復活の時に復活する」と理解していました。でも、イエスさまは、違いました。イエスさまが信じて、そして人々に教えられたのは、復活が終わりの日に起こる出来事なのではなく、イエスさまを信じる今ここで、私たちに復活の命が与えられるという信仰でした。

 

「やがていつか、終わりの日に」という、なにか遠い将来の不確かなことではなく、今ここで、「わたしは復活であり、命である」と告げられるイエスさまを信じるとき、私たちは、「わたしを信じる者は、死んでも生きる」とおっしゃるイエスさまの命に与ることができ、さらには「生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない」という、死を超えた永遠の命に、まさに、今ここでその命に生かされる。イエスさまはそのことをここで告げられるのです。そして、「このことを信じるか」と、私たちに語りかけられます。

 

今回、祖母の葬儀をしながら、今日の礼拝のため、みことばを心の片隅で黙想しながら、このことをとても強く感じました。もちろん祖母とこの世で別れなければならないことは、とても寂しく悲しいことでした。このデカい体をしたおっちゃんではありますが、やはりたくさん涙が出てきました。でも、祖母がこの地上の生涯が終わり、亡くなってしまい、もうそれで終わりなのかということは、一つも思いませんでした。一切疑わず、祖母は、イエスさまのもとで生かされている、天の御国に帰ったと、信じることができました。

 

「わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。」とイエスさまがおっしゃっているように、今既に、祖母が死を超えた、イエスさまが与えてくださる復活の命に生かされている、だから祖母は、この世の生涯を終えたけれども、死んだのではなく、永遠の命に生かされる、そのことを信じる信仰が与えられていたからだろうと思います。

 

「死は勝利にのみ込まれた。死よ、お前の勝利はどこにあるのか。死よ、お前のとげはどこにあるのか。」パウロが告げていますが、まさに今ここで、既に死は勝利に飲み込まれ、死のとげは滅ぼされて、今、既に命に生かされている、私たちは信じることができるのです。

 

今日の福音書では、イエスさまは死んだラザロを生き返らせました。しかし、そこである一つのことが起こります。今日のみことばの最後の段落、新共同訳聖書で付けられている小見出しは、「イエスを殺す計画」です。このラザロを生き返らせた出来事をきっかけとして、当時の宗教の指導者たちにより、イエスさまを殺す計画が進められていくのです。「この日から、彼らはイエスを殺そうとたくらんだ」と今日のみことばの結びで伝えられているとおりです。それは、彼らが、人々から絶大な人気を得たイエスさまに嫉妬をし、自分たちの地位や立場が失われることが恐れたためだったと考えられます。

 

エスさまは、このようにご自分が殺されてしまうようになってしまうのに、にもかかわらず、ここでラザロのを生き返らせるのでした。たとえ自分の命を失っても、その自分の命と引き換えに、私たちが生きることをイエスさまが望んでおられることを、このことは表しています。今、四旬節、イエスさまの十字架の歩みを心に刻む日々を、私たちは過ごしていますが、それはイエスさまが私たちを生かすため、永遠の命を与えるためであったことを、今日のみことばから、受け止めたいのです。イエスさまはたとえ自分が死なねばならなくなっても、命がけで、私たちに「生きよ、今ここで生きよ」と永遠の命を、その十字架の上で差し出されるのです。

 

エスさまの命と引き換えに、今ここで私たちに与えられている永遠の命を心から感謝して受け入れたいと思います。

 

主よ、私たちを導いてください。

 

エスさまの尊い命により、私たちに永遠の命が与えられたことを感謝します。今ここで既に氏が勝利に飲み込まれ、死のとげが失われ、復活の命に生かされることを信じて生きることができますように。救い主、命の主であるイエスさまによって。アーメン

 

希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。アーメン