yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

黙想メモ

ヨハネ14:15-21

 

「弁護者」=パラクレートス・傍らに呼ばれた者、傍らで呼びかける者 助け主 慰め主
 
「別の弁護者」ἄλλον Παράκλητον = another Helper もともと弁護者・助け主がいた=イエス・キリストのこと(1ヨハネ2.1) そしてイエスが世を去った後、「別の弁護者」として、神は、私たちに聖霊を送ってくださる 目には見えないけれど、ともにいる助け主 私たちをひとりぼっちにしない神 そのために配慮されるキリスト 聖霊として私たちのもとに戻って来られるキリスト
 
「掟を守る」 掟=ヨハネ13章「互いに愛し合いなさい」愛する(友のために自分の命を捨てる)、仕える(洗足・嫌なことを引き受ける) 一粒の麦としての生
 
神、そしてキリストは私たちを独りにしない そのために「別の弁護者」助け主として、聖霊を送ってくださる。その聖霊は、霊であるキリストとして、私たちとともにいてくださる。
 
「互いに愛し合いなさい」とキリストから新しい掟を与えられているが、なかなか愛せない不器用な私たち。でもそうした私たちであっても、できないながらも、イエスの掟を守り、愛を大切に生き、他者に仕え、他者のために生きようと志すとき、その私たちの歩みに弁護者・助け主、聖霊がともにいてくださる。
 
小さなキリスト この地上では、キリストは、もはや目には見えない。でも私たちが助け主である聖霊の風に押し出されて、イエスの掟を地上で行い、隣人にとっての目に見える小さなキリストとして生きていく。
 
キリスト教葬儀などで良く聞く言葉。「あの人、キリストだったから」。もちろんキリスト教だったからという意味で言っているのだろうが、しかし、私たちは世間から「あの人、キリストだから」と見られている。名前だけでなく、事実、小さなキリスト、愛の人として生きていきたい。自分の力では無理だから、弁護者、助け主キリストに導かれて。