yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

9月1日

今日は9月1日。

1923年の今日 関東大震災が起こり、10万人を超える方々が亡くなりました。

この震災と、またこの日には統計上、台風が襲来するのが多いということで、9月1日は、防災の日と位置づけられています。

私たちは、この日、もうひとつ忘れてはならない出来事があります。

関東大震災の起こった日、その日も風の強い日だったようです。ですので、各地で大火事が発生し、それが被害が拡大する要因となりました。

その際に、「朝鮮人が火をつけて歩いている」とか、「朝鮮人が井戸の中に毒を入れ廻っている」とか、「朝鮮人による暴動が起こった」とか、そうした謂われなきデマが広まり、それによって、大勢の朝鮮人が日本において虐殺されたのです。そのことで犠牲となったのは、八百人もしくは数千人を超えるとも言われます。

その際に、朝鮮人と間違えて殺された日本人や中国人もいたとのことです。(その中には、言葉を話せない障がいの方々が、「日本語を話せないから、あいつは朝鮮人だ」と誤認されて殺された人たちもいたそうです。)

「デマに基づき」と書きましたが、ただデマだけでなく、政府当局が「朝鮮人の暴動に気をつけるように」という通達を警察に出して、それも虐殺のきっかけとなったそうです。

当時のマスコミも、この通達やデマをもとに、朝鮮人が暴動を起こしたという、事実と異なる記事を書き、これまた、この事件をより大きなものとする要因となり、またこうした嘘の「記事」を根拠にして、虐殺を否定する人たちが近年出てきています。

一般市民たちが「自警団」を組織して、朝鮮人を虐殺することを、当局側や自治体は黙認をしました。ただ朝鮮人であると言うだけで、殺されることが許され、また奨励されたのです。

これは、決して繰り返されてはならない残酷な事件であり、それゆえ決して忘れてはならず、歴史の記憶と記録を継承していかねばならない出来事です。

その意味で今回、東京都知事や一部の区長が、この虐殺への追悼文を出さなかったことは大きな問題なのです。しかも、都や区は、この虐殺の加害者でもあるのに。

この事件から、現代の私たちが受け止めるべく教訓は、まずは、情報の受容についてです。

自分のもとに届く情報を、精査また吟味しつつしつつ受容しなければなりません。この情報は正しいのか、あるいはデマなのか。特に、ネット社会の現代、このメディアリテラシーはとても大切なことです。

また、メディアの側の問題です。政府当局の言いなりの情報に基づき、記事を作ったことが、この虐殺の大きな要因となりました。政府の伝える情報を批判的に受け止めて、自らの取材に基づき、真実を報道する姿勢が必要です。現在の日本のマスコミは、どうでしょうか。大いに不安を覚えます。

もう一つは、民族差別やヘイトスピーチを許さないことです。朝鮮人に対する日頃からの差別や偏見、排外思想がこの悲惨な事件に繋がりました。私たちは、同じ過ちを犯してはなりません。

「ちょんころ(朝鮮人)殺してやる」「良い韓国人も悪い韓国人も殺せ」これは昔に言われた言葉ではありません(昔も言われていたでしょうが)。これは、現代のヘイトスピーチで実際に言われている言葉です。こんな言葉を、言論の自由などと言って、認めてはなりません。

これは、言論の自由に基づく発言ではなく、殺害予告であり、脅迫罪であり、明らかな人権侵害です。こうした思想や発言が、いざと言う時に、信じられないような動きになっしまうのでしょう。

ヘイトスピーチを許さない、民族差別を許さない、共に生きる社会を目指す、そのために努めたいと思います。

三国人、外国人が犯罪を多く犯す…治安維持を頼む」と言ったことを、かつて石原都知事(当時)は、自衛隊に対して述べました。こうした思想を持ちつつあるこの国であることを危惧しますし、そのように公的な立場の人たちによる差別やヘイトスピーチがなされ、その人がその後も職務を継続することができる国であることを恐ろしく思います。

この国には、いろんなルーツを持つ人たちが共に暮らしているということも忘れずにいたいですね。

また、当時の虐殺は、みな「お国のために」という思いを持って、自分たちは大切なことをしているとの意識の中でなされたものです。ですので、こうした誤った「愛国心」もまた大いに危険であることを、私たちは受け止めておきたいと思います