yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

弟子屈集会メッセージ

弟子屈 摩周チャペルアワー 2017年10月26日

「ルターの宗教改革、そしてわたしたちの改革」

 

ルーテル教会とは、ルターの教えを大切にする教会のことを意味するが、今年はマルティン・ルター宗教改革から500年を迎えている。1517年10月31日に発表した一つの文書をきっかけに。その文書は、「贖宥の効力に関する討論」「95箇条の提題」として知られる。ルターが、教会の扉に、その文書を貼りだしたと言われるが、その真偽のほどは確かではない。その文書が、その日付で送付されたことは確か。その当日から間もなく、500年が経とうとしている。

 

その文書は、贖宥状、免罪符のお札に対する、ルターの疑問が述べられたもの。当時、聖遺物(キリストの生涯に関わるいろいろなもの《キリストが縛りつけられた柱?など》や聖人に関するもの《骨とか服の切れ端とかなど》)を見たり拝んだりしたら、私たちが犯した罪の償いが軽くなり、免罪符を買ったら、そのことで、罪の償いが免除されて、罪の赦しが得られると教えられていた。ルターはこれに対して「おかしいだろ?」と疑問を呈した。そのように私たちが「何かをしたから」と言って、私たちの罪の償いが軽減されたり、罪が赦されたりすることはない。私たちが日々犯す罪は、そんなに軽い簡単なものではない。私たちが自分でどれだけ頑張っても、そのことによっては私たちの罪は赦されない。自分の努力では、どうすることもできない。聖書が、「義しい者はいない、一人もいない」と言っている通り、自分の努力では、神さまのみ前に、だれ一人として正しいものになれない。

 

当時、免罪符が販売されるとき、大きな箱が置かれ、その側で説教された。「あなたがたのお父さんやお母さんが煉獄で苦しんでいる。(煉獄とは、天国と地獄の間にあるとされた、天国に行くまでに罪の償いを果たす場所。天国へのリハビリテーションセンター。)あなたがたはお父さんやお母さんに生前一杯お世話になったのに、そのまま放っておいてよいのか。あなたがたはそんなに薄情なのか。さあ、この免罪符のお札を買いなさい。そのお金をこの箱に入れて、その箱の底でチャリンと音がするや否や、その魂は煉獄から飛び出て天国に行くことができるのだから」。もうめちゃくちゃ。こんなエピソードも。昼間から飲んだくれて道端でなまけて寝ていた酔っ払いのおっちゃんがいた。「そんな怠惰な生活はダメだろ。ちゃんと働きなさい」とルターは注意した。するとその酔っ払いは、ポケットから一枚のお札を出して、それを見せながら、どや顔で「旦那、大丈夫でっせ。あっしにはこれがありますから」と。それは免罪符のお札だった。

 

ルターは、「そんなのおかしいだろう。聖書はそんなこと教えていない。大事なのは、私たちが一生涯かけて罪を償うこと、そのためにキリストの十字架に立ち返って、日々そこに生きることだ。キリストの十字架、私たちには、ただそれしかない。教会は、そのことを宣べ伝えて、ただそこに立つべきだ」と主張したのだ。

 

ルターが、そのような理解を持つことになった経緯。ルターは、ある日、歩いて旅をしていた時に、強く激しい雷に遭遇する。彼は、その落雷に命の危険を感じて、「聖アンナ様(ルターの大事にしていた守護聖人)、私を助けてください。私は修道士になります」と言って、その後、親や友達の反対を押し切って、実際に修道院に入った。そして、修道院で規則を守り、一所懸命お祈りをして、聖書も読んで、模範的な修道士となった。その当時、ルターは、神さまのことを恐れて、怖がっていた。神は、自分を罰して裁くお方だと。だから、彼は一所懸命修行に励んだし、自分の罪を神父様に告白した。そして、その帰りにまた自分の罪を思い出して、さらに神父様のもとに戻って罪の告白したということも少なくなかったという。ルターは、それほど神さまを恐れて、何とかして神さまの赦しと救いを自分の手に入れようと努力した。けれども、努力すればするほど、自分は決して正しいものにはなれない、自分はどうしようもない罪人だと思うばかりだった。だからこんなダメな罪深い自分は神さまに裁かれて、罰せられてしまう。そのように恐れていた。

 

その当時、彼は大学で聖書を教えていた。だから聖書をひたすら読んで考えた。その中で、ある一つのことに気づく。それは、大切なことは、今まで自分がしてきたように、自分で頑張って神さまに近づいて、何とか正しく生きようとすることではなく、そうした多くの罪を抱えて、本来ならば、神さまに裁かれ罰せられるべき自分を、神さまが憐れんでくださる、神さまが私たちを救うために大事な独り子イエス・キリストを私たちのもとにお遣わしくださり、キリストは私たちの罪と、その罪のゆえに私たちが受けなければならない罰を、ご自分の身に引き受けてくださり、十字架にかかり苦しみ、命をささげられた。そしてそれと引き換えに、その交換として、神さまの赦しと永遠の命を私たちに与えてくださる。「喜ばしい交換」=キリストが十字架で私たちの罪と罰を受け取られ、それと交換に、私たちに赦しと命を与えてくださる。どう頑張っても、神さまの前に正しくない私たちだけど、キリストが十字架において、神さまとの間の正しさを私たちに回復してくださる、私たちを義しいと認めてくださる、そのことこそ大切であると。

 

だから、私たちの罪が免罪符のお札で赦されたり、その償いが軽減されるなんてことは認められない。そうではなく、ただただ十字架、十字架。そこにこそ平安がある。神とキリストの一方的な愛と憐れみによってのみ、私たちにプレゼントとして与えられる恵みとしての赦し。私たちにとって大切なのは、その神の恵みに立ち返って生きること。生涯かけて、日々、そこに生き続けていくこと。そこにこそ、神さまの赦しがあり、救いがある。私たちは、その神さまの恵みを信じる。それがルターの、宗教改革の信仰で大切な、「恵みのみ」「信仰のみ」の信仰だ。

 

そして、ルターは、この信仰を、ただただ、私たちは聖書のみことばによってからのみ知ることができると、主張した。それが「聖書のみ」の信仰だ。でも当時は、聖書を読むことができるのは、本当にごく一部の人のみだった。ルターも「修道院に入って初めて聖書を手に取った」と言っているほど。聖書は、それほど貴重なものだった。そして、もう一つ当時の人々が聖書を読むことができなかった理由は、当時は、聖書はラテン語の訳しかなく、一般の人たちはそれを読めなかった。だからルターは、後に聖書をドイツ語に翻訳した。民衆がわかる言葉、普段使っている言葉で。ルターは、「私は民衆の口の中を覗き込んで、聖書を訳した」と言っている。みんなが自分たちの言葉で聖書を読んで、神さまの恵みを知り、信じることができるように。

 

そして、聖書のみことばを誰でも学び、理解することができるように努力した。識字率が低く、字が読めない人も多かったので、賛美歌もたくさん作った。「会衆の説教」としてのさんびか。聖書のみことばを理解すること、そして、それを伝えることに、教皇だとか神父だとか修道士だとか牧師だとか差はない。みんな神さまの前に等しく、神さまの前に立って、みことばを理解し、みことばを伝えることができる、誰だってその役割が与えられているということも、ルターは主張した。「全信徒祭司性」(「万人祭司」)の主張だ。

 

それから500年が経って、私たちが今年、宗教改革500年を迎える際に大切なことは、それを過去の昔話として、記念してお祝いするというのではなく、ルターが発見し、大切にし、主張したことを私たちも大切にしていく。つまり、私たちも自分で自分のことを救おうとしない。自分が、何か他の人よりも清い偉そうな人間だと思わない。自分が神さまの前に徹底的にどうしようもない罪人。罪人の頭、その最たる者であるという認識。でも、神さまは、そんな私を徹底的に愛してくださり、キリストは十字架で死なれるほど命がけで私を愛してくださった。この恵みに立ち返って、ただそのことによって赦していただくしかない私であることを認め、キリストの十字架を受け入れ、信じる。そのために、聖書のみことばをいつも味わい、そこに生きていく。また、自分もまたみことばを伝える一人であることを受け止める。そうした自分であるように、自分自身を改革していくことが大切。

 

ルターの宗教改革から500年、そしてわたしたちの改革。これこそ、宗教改革500年を迎える私たちにとって必要な姿勢である。