悪霊について考えてみた
今度の礼拝で聴く福音には、悪霊が登場する。
イエスが教えておられると、悪霊にとり憑かれている人が「かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と叫び出した。
それに対して、イエスが「黙れ。この人から出ていけ」と一喝されて、悪霊はその人のうちから逃げ出したという出来事だ。
この個所で、お話しするため、悪霊って一体何なのだろう?と改めて考えてみた。
まず、こいつは、人々がイエスの言葉を聞いて神に心を向けようとすることを邪魔をする。なるほど、悪霊は、人が神に心を向けることを必死に妨害するんだな。
次にこいつは、そこにいる人たちが一緒に過ごすことを邪魔する。なるほど、悪霊は人と人がともに生きることも妨げるんだな。
そしてさらに、こいつは、その人がその人らしく生きることを邪魔する。なるほど、悪霊は私が私として生きることを否定するんだな。
しかも、こいつは、普段は人の目に見えないから厄介だ。人の目に隠れて悪さをする。
しかし、そんな悪霊も、イエスが働き、福音の言葉に照らされるとき、その正体が明らかになる。「正体は分かっている」とイエスに向かって叫んだ悪霊こそが正体が明らかにされてしまうのだ。
悪霊がその人から出ていくとき、その人は痙攣したという。その人は自分ではどうしようもならない力にとらわれ、その人の中で悪霊は最後のあがきをしながらも、でも最終的にはその人から逃げていく。イエスの力強い命の言葉、愛の言葉によって。
イエスこそが、私たちを悪霊から解き放ち、私たちを神への信仰へ向かわせ、人と共に生きる者とし、私が私として生きる喜びを与えてくださるのだ。
しかし、私たちも悪霊から解き放たれるその時、自分ではどうにもできない力にもがき苦しまなければならないかもしれない。
でも、その時にこそたしかに響いている。「黙れ、この人から出て行け」と、権威をもって語るイエスの声が!
今日もその方の声を聞いて休み、明日の朝もその方の声に目覚めたい。