yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

教団総会決議

ブログへの投稿は数年ぶりです。お久しぶりです。ご無沙汰しております。

 

以前こちらで、私たちの教団(日本ルーテル教団)で性差の区別なく牧師職として働く道が開かれることを願っていることを話題にしましたが、先日行われた教団総会でそのための教団規則の改正が総会出席議員の三分の二以上の賛成を得て可決されました。

 

本格的な議論が起こったのが1990年代の終わりですから、実に20年余を経て、今回実現したことになります。

 

これまで多くの方々の祈りと取り組みがありました。みなさんに敬意を表します。また、一緒に祈り取り組んでくださった方々で、地上の旅路を終え、天へ召された方々もいらっしゃいます。その方々のお顔や声を思い起こして、胸が熱くなります。そして何より、これまで私たちを導き励まし続けてくださった神さまに感謝します。

 

この先も、今、執事職として働いている女性の教職の方々を、どのような手順で牧師として働くことを可能とするのか、また、私たちの教団と聖壇と講壇の交わりの関係にあり、女性への按手を認めていないアメリカのルーテル教会との関係をどうするのかなど、様々な課題がありますが、乗り越えられないことはないと信じて、まずは今回の決定を大いに喜びたいと思います。

 

執事職にある女性の牧師への任用ですが、これは現在その教職が働いている地域教会のアクションが大事になってくると思います。教団総会の総意、また教団規則に基づき、私たちの教会は教職授任按手を受け私たちの教会で働いている教職を、牧師として招聘すると宣言して、その教会では牧師として任命した上で、教団にそのことを伝えて認めるよう働きかけること。各個教会主義の教団なのですから、それぐらいの矜持を見せても良いのではないでしょうか。教団も、「長い間議論を重ねて」という理由で、せっかくの規則の先延ばしにならないように努力していただきたいなと思います。

 

アメリカとの関係では、私たちの教団は日本での宣教のために性差の区別のない牧師の働きが必要と考え、これを決めたことを粘り強く訴え続け、たとえアメリカの側から関係を断たれたとしても、なおも一緒に取り組めることはないかと申し出続けていくことが大事ではないかと思います。もちろん相手があることですから、決して簡単なことではないでしょうが。

 

ところで、私には実力がないので(というか引っ越しを何度かしたので、資料が残っていないこともあり)無理ですが、どなたかこれまでの経緯を年表や論文にまとめる方いらっしゃいませんかね?大事な資料&史料になると思うのですが。

 

なお、この度の教団総会で決議した規則変更提案の提案文は以下の通りです。

 

※※※※※※※※※※


教団規則第2章第5条変更の件

北海道地区教会会議
(地区役員・運営委員連名 省略)

提案:教団規則第2章第5条の「牧師」について「成年の男子陪餐会員で、忠実な信仰生活にはげんでいる者」を「成年の陪餐会員で、忠実な信仰生活にはげんでいる者」と変更する。

提案理由:現在、私たち日本ルーテル教団は、教団規則第2章第5条により、牧師職を「成年の男子陪餐会員」に限っているが、聖書の記述によるならば女性牧師按手は禁じられておらず、それゆえ教理上の理解としては牧師職の性差は問われないため、教団総会の判断によりこれを決定することができるというのが、教団総会や信仰と職制委員会でたびたび確認されてきた共通かつ公式な理解である。
この理解に基づき、私たちの教団の教職として、教団規則で定めている一職務である執事職には性差を問わず女性も男性と共に、教職授任按手を受けた上で任用されており、現在すでに実際に複数の女性が執事として地域教会の宣教と牧会に携わり、礼拝における説教と聖礼典の働きにも従事している。また、そのうち教団役員や地区教会会議議長などの責任ある役職や神学教育にも携わってきた女性の教職者もおり、私たちの教団と地域教会が、キリストの体として立つために、もはや女性の教職者の働きは必要不可欠である。にもかかわらず、私たちの教団が未だ女性に牧師職の働きを閉ざし、男性のみにそれを限定していることは、キリストの宣教の委託に忠実に応えているとは言えない。
我が国の法律には、たしかに宗教上の理由がある場合に、その任用に性差を認めているが、これはその宗教の教義上の理由でその働きをいずれかの性に限る場合(カトリック教会における神父や神社における巫女など)に該当すると考えられる。しかし、私たちの教団においては、先に述べたとおり、信仰の教理上は牧師の働きには性差は問わず、教団総会の決定に委ねるというのが共通かつ公式の理解であるのだから、我が国の法律を理由として、女性の牧師按手を認めていない現状を正当化することはできないであろう。私たちの教団が、これからもこうした性差別を続けることは、社会に対する証しという観点からもふさわしくないと考える。
何よりも、私たちの宣教と牧会の働きは、性差を超えて担われてこそ、補完的かつより豊かなものとなり、また牧師職への道を性差を問わずに拓くことは、教職者の人数が不足している私たちの教団の現在と将来にとってもたいへん重要なことであると信じる。
これらの理由により、今回の教団総会において、教団規則を変更して、私たちの教団が牧師職を男性のみならず女性にも拓くことを提案する次第である。
なお、私たちの教団では、これまでも総会で検討されてきたが、教団の初期の宣教の礎を築き、また長い間宣教のパートナーとして歩んできた米国ミズリー・ルーテル教会(LCMS)との関係を考慮し、今まで女性への牧師按手を実施せずにきた。しかし、私たちの教団が女性の牧師職を認めることは、決して私たちの側からLCMSとの断絶を求めることを意味するものではなく、たとえ私たちの教団が女性の牧師職を認めても、なお友好で協力的な関係をLCMSに求め続けることには変わりがない。総会はそのための働きを教団常議員会に委ねるべきである。しかしだからと言って、いつまでもLCMSとの関係を理由として、私たちの教団が、女性の牧師按手を行うことを躊躇し続けることで、キリストの宣教の委託に十分に応えることをしないままでいることは、自立した教会共同体としてふさわしい在り方とは言えないであろう。
また、LCMSの宣教師が日本での宣教を開始して以来長年に渡って私たちに伝えてきてくださった宣教のスピリットを継承し、それに充分に応えるためにも、日本の宣教のために必要な女性牧師按手を、私たちの教団で実施することを決断することはふさわしいことであろうと信じる。
以上