yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

洗礼者ヨハネの日

きょう6月24日は、教会暦で「洗礼者ヨハネの日」です。

エスの母マリアの親類であるエリサベトが、ヨハネの母ですが、マリアの受胎告知の6ヶ月前に、エリサベトはヨハネを宿しました(ルカ1章26)。ですので、イエスの降誕クリスマスの半年前が、ヨハネの日と位置づけられているわけです。

ヨハネは、救い主イエスの働きに先立って、人々に救い主の到来を告げ、悔い改めの洗礼を呼びかけ、実践しました。救い主到来の道備え、その道を整える役割をした人物が、彼ヨハネです。

彼は、徹底的にその自分の役割を受け止めていました。ヨハネは、イエスについて、「その人はわたしの後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない」と語ります。また、彼は、「自分自身はメシアではない」と明言し、終末に再来するエリアや、預言者なのかという問いにも「違う」ときっぱり答えました。(ヨハネ1章19~27)

彼の生涯の最後は、時の権力者を批判したことを理由に捕えられ、また最終的には斬首されてしまうという、悲惨なものでした。

ところで、このヨハネの日は、夏至の直後に位置づけられています。イエスの降誕が、冬至の直後に位置づけられているのと、実に対照的です。(半年前だから、そうなるわけですが)

夏至は、1年で昼の時間が最も長い日です。ということは、その日を境に昼の時間がだんだんと短くなってくるわけですね。それに対して、冬至は、1年で昼の時間が最も短い日であり、その日を境に昼の時間がだんだん長くなっていきます。

エスの降誕が、冬至の直後に祝われるのは、義の太陽、真の光イエスキリストの誕生により、この世界の闇の支配が失せて、神の光が勝利したことを表します。

では、夏至の直後に、洗礼者ヨハネの日を覚えることの意味はあるのでしょうか。

このことを考える際に、洗礼者ヨハネが語った言葉を思い出します。イエスの働きが活発になってくるに連れて、ヨハネからよりも、イエスから洗礼を受ける人たちが増えてきたのでした。その際、ヨハネは言うのです。

「天から与えられなければ、人は何も受けることができない。わたしは、『自分はメシアではない』と言い、『自分はあの方の前に遣わされた者だ』と言ったが、そのことについては、あなたたち自身が証ししてくれる。花嫁を迎えるのは花婿だ。花婿の介添え人はそばに立って耳を傾け、花婿の声が聞こえると大いに喜ぶ。だから、わたしは喜びで満たされている。あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」(ヨハネ3章27~30)。

あたかもだんだん昼の時間が短くなるように、イエスの道備えをした自分自身はその役割を終えた今、去りゆくのみで、後は、主役である救い主イエスキリストの栄光が現されるように。これがヨハネの信念であったのです。

「あの方は栄え、わたしは衰えねばならない。」

私たち教会に仕えて働くものたちも、今日のヨハネとして、彼と同じ思いで歩んでまいります。そうです。自分自身は衰え去りゆく者であって、ただキリストの栄光が現されんことを!ただそのことを願って歩むのです。

Soli Deo gloria!