yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

敗戦の日を迎えて(2017年8月15日)

本日、8月15日、敗戦の日

1945年8月15日以降も、沖縄は長い間アメリカの統治下に置かれ、国外においてでは大勢の人が抑留されて強制労働が強いられた。また、アジア諸国を初めとする戦争の痛みを負う人たちに、日本は戦争責任・戦後責任を果たしておらず、隣国との平和を築く取り組みもまだまだ不十分だ。沖縄には今なお多くの米軍基地が残り、そのことに日本政府は無責任で不誠実な対応を続けている。その日以降も、日本に残ることになった外国にルーツのある人ととの共生も、まだまだ実現されず、今なお、その人たちに対する激しいヘイトクライムの現実がある。

このように本当の意味で、日本はまだまだ「終戦」は迎えていない。なにより、8月15日は、日本がはじめた愚かな戦争に、日本が敗れた日である。その意味でも、私は「敗戦」という言葉を用いたい。

さらには、特に近年、戦争の反省によって策定された日本国憲法を脅かし、その価値を否定する動きが強まり、かつての愚かな歩みを繰り返すかのような事実も数多く見られ、「終戦後」というよりも、あらたな「戦前」ではないかという思いすら強く抱く。

この敗戦の日、今一度、この国の愚かな罪を悔い改めるとともに、普段はそのことに無関心で過ごしている私の罪をも悔い改めたい。そして、平和を求める祈りとそのための奉仕の決意を、この日に、新たにしたい。

この国の大きな課題、世界の大きな闇の前に、私の平和の祈りや奉仕が一体何の役に立つのか、それは焼け石に水なのではないかと、そうした思いにもなる。しかし、からし種やパン種のような、そうした私たちの小さな祈りと奉仕を、神が受け止めてくださり、大きく育てて、用いてくださることを信じて、また、世界中の平和を願い働く多くの仲間と手を携え合って、ひっそり、こつこつと続けていきたい。

同時に、私自身の中にも平和を脅かす、自分勝手で残酷な、そうした悪魔的な毒麦の心があることをもいつも忘れずに、日々、平和の主の前に悔い改め続ける生涯を歩むことを志したい。

平和の主、この世界を創造され、そこに住むあらゆる命を養われる、あなたの御名が崇められますように。すべての人を愛のうちに治められる、あなたの御国が来ますように。私たちの思いではなく、あなたの御心こそが、天と同じく、この地上でも行われますように。

主、憐れんでください。キリスト、憐れんでください。

「主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」(聖書:ミカ書2章4節)

「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(聖書:マタイによる福音書5章9節)