yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

人よりも神に従う

昨日は、北見牧師会が行われ、先般、基督兄弟団が発表した共謀罪法反対の声明から学びがなされた。

戦時中のホーリネス=きよめ教会の流れを汲む同教団は、当時の治安維持法による弾圧と教会解散、さらには棄教せざるを得なかった指導者たちもいたという痛みを覚えつつ、今回その声明を発表したという。

タイミング的に法案が衆議院を通過した後の発表だったということで、「遅い」とか「アリバイ作りの声明か」とかなどの批判もあったとのことだが、しかし社会的な発言がほとんどなされない同教団の精一杯の意思表明として、私は評価したい。(私に評価されても、何の価値もないわけだが…)

ところで、声明でも触れられている戦時中の弾圧について、当時の社会状況において、彼らが再臨信仰を説き、真の王である神のみ前で、天皇もまた裁かれるとの立場を譲らなかったことが問題であり、当時そうした立場は控えるべきだったとの反応が、他の教派の人々から少なからずあったそうだ。

私は、これを聞いて、たいへん残念に感じた。当時の弾圧は、100%国家に非があるのであって、教派の側の罪を問うのは筋違いだ。また、キリストこそ真の王であり、真の主であるとの信仰は、国家やこの世の状況によって左右されるべきものではない、決して譲ることのできない一点ではないか。たとえ、それが当時は現人神と言われていた天皇であっても、他のあらゆる人々と等しく、彼もまた、主である神の支配下にあり、神の裁きを受けるべき一人である。この当然とも言える信仰の基本を保ち続けた教派が、もしその信仰のゆえに非難されるとすれば、それを非難する側は一体どんな信仰を告白するのか、たいへん興味深く思う。(もちろんこれは皮肉である。)

天皇の退位による代替わりが近づき、また特定秘密保護法、安保法制、共謀罪法と、かつての歴史を再び繰り返すのかと危惧される悪法が次々と定められ、日本国憲法が大きな危機を迎えている今、今一度、「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません」(聖書 使徒言行録5章29)との信仰をしっかりと心に刻みたい。