yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

降誕祭@北見聖ペテロ・ルーテル教会

降誕祭 2017年12月25日@北見聖ペテロ・ルーテル教会

 

「あなたがたのために」

ルカによる福音書2章1~20)

 

わたしたちの父である神と、主イエス・キリストからの恵みと平和があなたがたにあるように。アーメン
 

私たちは、今日、クリスマス、神の御子、救い主イエス・キリストのご降誕、お誕生を喜び感謝して礼拝をするために、神さまの招きと導きによって、ここに集められました。みなさんの上に、神さまからの祝福が豊かにありますように、心からお祈りいたします。

 

さて、今日礼拝の初めに招きの言葉として、旧約聖書イザヤ書のことばを告げました。「起きよ、光を放て。あなたを照らす光は昇り、主の栄光はあなたの上に輝く。見よ、闇は地を覆い、暗黒が国々を包んでいる。しかし、あなたの上には主が輝き出で、主の栄光があなたの上に現れる。」

 

ここで語られていることは、この世の中も、私たちの周りも、深い闇が包み込んで、真っ暗だけど、そうした暗闇の中で、あなたの上、私たちの上には光が輝いている。それは、私たちが自分で発している光ではなく、主の栄光、神さまが輝かせてくださる光だということです。

 

今、みなさんお一人おひとりの蝋燭に火が灯りました。もしかしたら毎年お話しているかもしれませんが、この北見教会のキャンドルサービス、最初の年に担当したときには、たいへんびっくりしました。それは容赦なく、すべての電気が消されて真っ暗になるからです。私は最初の年はそのことを知りませんでしたので、心構えがなく、「うわっ!メッセージの原稿見えないよ!」と焦りました。

 

でも、二年、三年と続けて担当するようになって、思うようになったことがあります。確かに真っ暗なのだけれど、でも、みなさんの蝋燭に火が灯ると、結構明るいということです。暗闇の中だからこそ、この一人ひとりの蝋燭の意味は大きいと感じます。その光によって、私たちはプログラムを見ることもできますし、私も原稿を見ることができます。

 

暗闇の中に、神さまの光が輝くということもこういうことだと思うのです。その暗闇の中で輝く神さまの光とは、世の中や私たち自身の心の中が明るいときには、なかなか気づくことのできない光だと思います。世の中も真っ暗、私たちの心も真っ暗、でもその中で神さまの光が私たちの上で輝いている。依然として暗闇なのだけれども、その暗闇の中で、私たちは神さまが輝かせてくださる光を見つめ、その光によって慰めや希望や平安を与えられて、進むべき道を示されて歩んでいくことができるのだろうと、そんな風に思うのです。

 

それでは、その暗闇の中で輝く神さまの光とは何なのでしょうか。私たちは今日クリスマスの礼拝の招きの言葉として、このイザヤ書の言葉を聞きました。そしてクリスマスの礼拝として一人ひとりの手元の蝋燭に火をともしています。クリスマスは、みなさんもうよくご存じのように、神の御子、救い主イエス・キリストのご降誕、お誕生を喜び、感謝し、お祝いするための日です。

 

暗闇の中で、私たちの上に輝く、神さまの光、それは、今からおよそ2千年前、お生まれになられたイエスさまのことです。普段、この世界や私たち自身が明るい時はあまり気づかないかもしれません。でも、この世界が暗黒に包まれるとき、私たちの心の中が暗闇になる時、イエスさまの光が私たちの上で輝きます。私たちの手元にある蝋燭の灯を見つめながら、今日、このことを心に刻みたいと思います。

 

先ほどのルカによる福音書のみことばで天使は羊飼いたちに告げました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」

 

天使はまず「恐れるな」と羊飼いたちに告げました。この「恐れるな」というお告げは、クリスマスでとても大切な中心メッセージの一つです。この前の土曜日の礼拝で、天使が、イエスさまを身ごもった事実をマリアに告げた出来事についてみことばを聞きました。その際もマリアに「恐れるな」と言う言葉が告げられました。また、マリアの婚約者であり、後に夫となるヨセフにも、自分の婚約者が妊娠した事実に彼が悩んでいた時、天使が彼に「恐れるな」と語りかけます。このようにクリスマス、イエスさまのお誕生をめぐって、「恐れるな」と言う言葉が繰り返し告げられるのです。

 

「恐れるな」というこのメッセージは、恐れの中にある人々に向かって告げられるものです。マリアもヨセフも羊飼いも恐れていたのです。今までありもしなかった出来事、自分の理解を超えた出来事、受け入れることが困難な出来事、そうした出来事の中で、彼らはそれぞれ恐れるのです。その恐れのただ中で「恐れるな」と告げられます。私たちも、この世界と私たち自身の暗闇の中で、「恐れるな」と言う言葉が告げられます。恐れているからこそ、その恐れの中で、「恐れるな」と告げられるのです。

 

それでは、その「恐れるな」の根拠はどこにあるのでしょうか。羊飼いにもマリアにもヨセフにもそれは共通した一つの事実に基づいています。その事実とは、神の御子、救い主イエスさまがお生まれになるという事実です。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」天使はそのように羊飼いたちに告げました。

 

「今日…あなたがたのために救い主がお生まれになった」!2千年前にユダヤの外れの羊飼いたちにそのことを告げた天使たちは、今日、ここに集ってクリスマスを祝う私たちにも、同じように告げています。「今日…あなたがたのために救い主がお生まれになった」と。そうです。あなたがたのため、私たちのため、あなたのため、私のために救い主がお生まれになったという知らせを今日私たちは聞き、胸に刻むのです。

 

この「あなたがたのため」から除外される人は誰一人としておりません。どんな人であっても、このあなたがたの中に含まれています。自分はどうしようもない人間だ、救いようもないバカだと思うこともあるかもしれません。でも、今日、そんなあなたがたのために救い主がお生まれになったのです。誰一人そこから外れ例外となる人はおりません。どんな私たちでも、どんなあなたでも、「今日…あなたがたのために救い主がお生まれになった」、この知らせが告げられるのです。

 

いろんな恐れが私たちにあります。自分自身の将来のこと、健康のこと、仕事のこと、人間関係のこと、この世界のこと、家族のこと、友人のこと、いろんなことで恐れる私たちです。でも。今日、そうしたあなたがたのために救い主がお生まれになった、だから恐れるな、もう恐れる必要はない、そう天使は私たちに告げるのです。

 

どうして救い主がお生まれになったことが、私たちの「恐れるな」ということの根拠になるのでしょうか。また、そもそもその救い主は一体どこにおられ、私たちはどこでお会いすることができるのでしょうか。天使は告げて言います。「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」そうです。その救い主は飼い葉おけの中に寝かされています。その場所は、家畜小屋です。なぜそんなところに?みことばは次のように伝えています。「彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。」

 

ヨセフとマリアは、当時の皇帝の命令によって、人口調査、人数調べのために、ヨセフの故郷のナザレに向かって旅をしていた最中でした。皇帝の命令による人口調査、皇帝が自分の権力がどれほど大きなものかを調べるために行われたものです。一人ひとりの尊い人間をただの自分の権力のための数としか思っていなかったのでしょう。そうした世の力に翻弄されて、旅を余儀なくされた彼らでしたが、その途中でマリアは産気づいてしまいます。でも人口調査で国中挙げてみんな旅をしていたので宿屋はどこもいっぱいでした。そこで馬小屋で彼らは一夜を過ごすことにしました。マリアは、その夜、その家畜小屋で乳飲み子イエスさまを出産したのです。

 

「彼らの泊まる場所がなかったからである」彼らの居場所がなかった、彼らのいる余地がなかった、そんなニュアンスの言葉です。居場所がない、いる余地がない、そうした中で救い主はお生まれになりました。神さまの御子であり救い主なのだから、高級ホテルでお生まれになり、フカフカベッドで寝かされたのかというと、決してそうじゃない。むしろ真逆な場所です。居場所がない中で、いる余地が与えられない中で、汚く貧しい馬小屋で生まれました。狭く、堅くて不快な飼い葉桶に寝かされるのでした。そうです。救い主は、貧しさのどん底で、その過酷さの極みでお生まれになられたのです。

 

ですから、たとえ私たちがどれだけ貧しくても、過酷な中にあっても、あるいは自分自身のことを汚いなと思っても、生きづらさを感じていても、居場所がなくても、みんなからいる場所を取り上げられても、しかし、そこにこそ救い主イエスさまがおられるのです。そこに、今日あなたがたのために、あなたのために救い主がお生まれになられたのです。だから「恐れるな」と天使は告げます。

 

このように救い主イエスさまがお生まれになった場所こそ真っ暗闇な場所でした。でもそこに神さまからの光が輝きます。だから、私たちの真っ暗闇の中にも、そこにこそ救い主イエスさまがおられます。だから「恐れるな」とのお告げがなされます。家畜小屋の飼い葉おけから輝く神さまからの救い主の光に照らされて歩んでまいりたいと願います。

 

今日・・・あなたがたのために救い主がお生まれになられた。いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、み心に適う人にあれ。アーメン