yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

2018年2月4日 礼拝メッセージ

顕現後第5主日 2018年2月4日

 

「 癒 し 」

(マルコによる福音書1章29~39節)

 

わたしたちの父である神と、主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。アーメン

 

東京に行くと、かなり広い地域で、江戸城の石垣がそのまま残っています。また、私がよく会議で訪れる市ヶ谷には、地下鉄の工事の際に江戸城の石垣の一部が発掘されたということで、それを復元したものが駅の地下通路に存在感がある形で置かれています。現在残っているものも、復元されたものも、石垣を見ると、よくもこんなに立派なものを作ったものだと感心します。どれだけ大きな石垣も、一つ一つの石が積み重ねられて作られているわけですが、いろんな形の石をそのままの形で積み上げているものもあれば、石を削るなど形を整えているものもあります。いずれにしても、そのように一つ一つの石を積み重ねて、大きな石垣を作るのは本当に大変なことであっただろうなと思います。

 

2月1日と2日、私は、北海道外キ連のメンバーとして、外キ協全国協議会と全国集会に参加しました。と申しましても、「外キ連」とか「外キ協」とは一体何なのだろうとみなさんは思われることでしょう。外キ連も外キ協も略称であり、正式名称はとても長いものです。「外国人住民基本法の制定を求める北海道キリスト者連絡協議会」、これが北海道外キ連の正式名称で、その全国キリスト教連絡協議会が外キ協の正式名称となります。これは、日本にいる外国籍またはそのルーツを持つ人たちなどが安心して快適に、差別されず偏見を持たれずに暮らすことができるように、そのための法律を作ろうという運動をしている団体です。そして、そのために、まず日本で暮らす外国籍の人、そのルーツを持つ人たちなどが今、この日本でどのような苦労をし、差別されているのか、あるいは、その人たちが安心し快適に暮らせるためにどんな取り組みをすればよいのか、かつての戦争の時代から、あるいはもっと前から今まで続いて変わらないこの国の問題の根源は何なのか、そうしたことを学び、ふさわしくないことを改めるため取り組む活動をしています。各地でその活動をしている代表の方々が今回札幌に集まりました。また、道内で関心のある方々も参加いたしました。そして、活動の報告を聞いたり、聖書の学びをしたり、話し合ったりして、豊かな時間を過ごすことができました。私は、受け入れ側として、みなさんのためコーヒーを入れたり、マイクをもって走り回ったりしていたのですが、その豊かな時間のために、自分がかかわることができたことも嬉しく思いました。

 

そして、学びながら思ったのです。日本に暮らす外国籍の方やそのルーツを持つ人たちなどが差別なく安心して快適に暮らすことができるための外国人住民基本法を作るという最終的なゴール自体は、なかなかすぐにそれが実現するのは難しい。でもそこで、このように北海道で、また全国それぞれの地で関心のある方々が学んだり、交流したり、各地で条例作りのために努力をしたり、活動したりする、こうした一つ一つがとても大切なことで、意味あることだと。それはいわば一つ一つの石のようなものであって、でも、一つ一つの石を積み上げて大きな石垣が完成するように、一つ一つの取り組み、あるいは、自分の身近な外国人や外国にルーツにある人、一人ひとりに関わりその人と共に生きるために自分ができることをする、そうしたことが大きな石垣である、みんなで安心して快適に暮らせるこの国が形作られていくのだろうと思いました。研修会の間に私が用意したコーヒーも、その石垣を積み上げる働きに少しでも役立つことができればと思いました。

 

さて、今日の福音は、先週の、イエスさまが会堂でお話をされ、また一人の男から汚れた霊を追い出された、その後の出来事を伝えています。イエスさまは、その出来事の後すぐ、弟子たちと共に、シモン、すなわちペトロのことですが、ペトロとその兄弟アンデレの家を訪れました。イエスさまが、この家を訪れるのは、実はこの一度だけではなく、結構、頻繁に、事あるごとにこの家を訪れ、出入りされていたようです。その家で、休んだり食事したりして、疲れを取り、英気を養う、イエスさまや弟子たちのいわば癒しの場所であったと考えられます。また、ペトロたちがイエスさまに招かれた際に、家族たちを船に残して、イエスさまに従ったということを、何週間か前にお話ししましたが、それでは彼らはその時そこで家や家族を捨てて、もう顧みなくなったのかというと、決してそうではなく、むしろ家庭の中にイエスさまを迎え入れた、それまでとは違う、家族との新たな関わりがなされていったということを、私たちはここから知ることができます。

 

その日、シモンのしゅうとめ、つまり、ペトロの妻の母親が熱を出して寝ていました。彼女が「熱病」であったという風に訳されているものもありますので、結構、高めの熱だったのでしょう。私も一年に二回ぐらい40度ぐらいの熱を出すのですが、その際にはなかなか辛いものがあります。12月にインフルエンザに罹った時には、あまりの高熱に一人ベッドの上で叫んだり、あるいは熱でちょっとおかしくなっていたのでしょうか。気づいたら自分が歌っていたりして、結構、危うかったです。ペトロの家にいた人たちが、彼のしゅうとめが高熱で苦しんでいることを、イエスさまに伝えました。そうすると、イエスさまが彼女のそばに行き、彼女の手をとられて起こされます。するとその時、彼女の熱は去り、癒されたのです。ギリシア語でも熱が去るという表現がなされています。すっと根が下がって癒されたのでしょう。イエスさまが近づかれて、手を取って起き上がらせる、その姿は、たいへん心温まる愛あふれる出来事に感じ、その愛の力で彼女が癒されたのもわかる気がいたします。

 

そして、そのようにイエスさまによって癒された彼女ですが、「彼女は一同をもてなした」と、日本語の聖書では伝えられています。しかし、実はこの日本語訳に疑問というか批判を呈する人たちもおり、私もそれに共感しています。それは、どのような疑問、また、批判なのかと申しますと、この「もてなした」という言葉は、聖書の他のところでは「仕えた」とか「奉仕した」とかそのように訳される言葉なのですが、それが女性たちについて使われる際には、なぜか「もてなした」という訳になるというものです。イエスさまと人とのかかわりにおいて、「仕える」「奉仕する」というのは、実はとても大事な意味を持つ、いわば神学的な言葉です。それを「もてなした」と訳すならば、私たちの普通の感覚では、「あ、癒された彼女は、ここでイエスさまたちにお茶を出したり、食事を作ったりして接待したのだ」という風に受け取るでしょう。彼女はきっとそうしたこともしたでしょうし、それももちろんとても大事な働きです。しかし、実際には、そのことを含めて、彼女はここで「もてなした」だけでなく、イエスさまの癒しをいただいた者として、イエスさまに仕え、奉仕する者となったのです。しかもただの過去形ではなく、「仕え続けた」「奉仕し続けた」という意味になります。

 

エスさまは、イエスさまの弟子の条件は、イエスさまに従い、また、みんなに仕える者として生きることであると、弟子たちに繰り返し告げておられます。まさに、ここで彼女もまた、イエスさまの癒しをいただき、イエスさまに仕える者となった、イエスさまの弟子として、ずっとイエスさまに仕え、奉仕し続ける者となったということが告げられているのです。イエスさまが十字架にかかった時にも男性の弟子たちはみんな逃げてしまいました。しかし女性の弟子たちは最後までイエスさまに従い仕え続けました。このペトロのしゅうとめが、その十字架の現場に彼女もいたかどうかは分かりませんが、気持ちとしては、その女性たちと同じであったことでしょう。その歩みが、まさに今日のみことば、このイエスさまによる、彼女への愛あふれる癒しの出来事から始まったのです。

 

エスさまが神の国を人々にもたらす働きは、このようにして進んでいきました。イエスさまが出会うその人の痛みをを受け止められ、その人の手を取って起こされ癒される。そして、その人がそのイエスさまからいただいた癒しに喜び感謝して、イエスさまに従い、また人々に仕える者となっていく。こうして神の国の福音、イエスさまの愛の歩みが少しずつ多くの人に広がっていく。そうしたことであったのだと思われます。

 

この彼女が癒されたその出来事の後、人々が病気にかかっている人や悪霊にとり憑かれている人たちをイエスさまのもとに連れてきました。「皆…連れてきた」「町中の人が、戸口に集まった」とあります。みんなイエスさまの癒しを必要としており、町中のだれしもが自分や愛する者に痛みを抱えていたことが、ここからわかります。これは現代も同じでしょう。教会にはそれほど多くの人は集まりません。でも、そうであっても、たとえ教会に足を運ばない人であっても、その人が気づいているかどうかは別として、みんなイエスさまの癒しを必要としているのだと思います。この町のみんなが、自分や、自分の愛する者に痛みを抱えていると思うのです。そのことを、私たちは今日の福音から受け止め、私たちの祈りの課題にしたいですし、また、機会があれば、イエスさまのもとにぜひその痛みを負う人を連れてきたいと願います。

 

エスさまは、大勢の人たちを癒されました。また、人間の力ではどうすることもできなかった多くの悪霊をも追い出されました。「悪霊にものを言うことをお許しにならなかった」とありますように、「その人のことを支配するのは悪霊ではない、この人はわたしのかけがえのない宝だ」というイエスさまの力強さを感じます。また大勢の人たちを癒されたと言っても、十把一絡げにパット癒されたのではなく、ペトロのしゅうとめにそうだったように、イエスさまが一人ひとりの手を取り、触れられ、語りかけられて、そうしたイエスさまの一人ひとりへの愛の関わりを通して癒されたのでしょう。そして、そのようにして、イエスさまの伝える神の国の福音が広がって行ったのです。一人ひとりから神の国が広がっていった。

 

エスさまは、神の国をこの世界の人たちにもたらす救い主です。さらにはすべての被造物、この宇宙万物にとっての救い主でもあります。そうした偉大なお方です。これは、たいへんスケールの大きな話ですが、しかし、その大きな救いは、このように一人ひとりが抱えている痛みにイエスさまが寄り添い、癒してくださる。「この人は、私の宝だ」と、悪霊から、イエスさまの愛の御手に取り戻してくださる。そうしたイエスさまの一人ひとりへのかかわりから始まるということを、今日の福音から知らされます。お城の石垣の話を最初にしましたけれども、一つ一つの石が積み重ねられて石垣ができるように、イエスさまの一人ひとりへの愛の関わりによる癒しが、世界のすべての人々、すべての被造物を救い、神の国を完成させることへと繋がっていくのです。

 

エスさまは、その後、夜明け前に、一人だけで、人里離れた所に行って祈られました。きっと痛みを抱えている一人ひとりのために、イエスさまはそこで心を込めて祈られたのでしょう。そうして、イエスさまはまた次の町へと出かけます。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである」とおっしゃってです。「そしてガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された」と、今日の福音は伝えています。イエスさまの一人ひとりへの愛のかかわりが、最初はカファルナウムで、そして次は隣の町へ、さらにその隣の村へと、そのようにガリラヤ中に少しずつ少しずつ大きく広がっていった様子が伝えられています。

 

そしてそのイエスさまの愛の癒しの働きは、その時から途絶えることなく、その後、ずっとおよそ2千年の間、続いています。ガリラヤを超え、パレスチナ全土を超え、ヨーロッパを超えて、アメリカ大陸をも超え、世界中のあらゆる地域に、そして、私たちのこの日本、この北海道、さらには、この大麻にも、イエスさまの愛の癒しの働きが広がっています。そのようにして、神の国の福音が広がり、私たちのもとにも届けられたのです。「時は満ちた。神の国は近づいた」とイエスさまがおっしゃっている通りです。

 

エスさまは、私たち一人ひとりが抱える痛みをも受け止められ、私たちの手を取り、起き上がらせて、癒してくださいます。私たちの家族や私たちの友が抱えているその痛みをも、イエスさまはそのように愛の関わりにより取り除いてくださいます。私たちはそのイエスさまの癒しをいただいた者として、イエスさまに従い、人々に仕える歩みをしたい。そして、そのことを通して、神の国の福音が少しずつ少しずつ大きく広がっていくことを、心から願います。

 

主よ、私たちを導いてください。

 

御子イエスさまが私の痛みを受け止め、私の手を取り、立ち上がらせ癒してくださり、ありがとうございます。その喜びと感謝のうちに、御子に従い、仕える歩みをさせてください。その歩みを通しても、神の国の福音が少しずつ大きく広がっていきますように。救い主イエスさまのお名前によって。アーメン

 

希望の源である神が、信仰によって得られるあらゆる喜びと平和とであなたがたを満たし、聖霊の力によって希望に満ちあふれさせてくださるように。アーメン

 

動画 2018-02-04.MP4 - Google ドライブ

 

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