yukaina_gorilla’s diary

ごりらぼくし(大麻ルーテル教会/北見聖ペテロ・ルーテル教会)です。聖書や教会のこと、社会のこと、ペットのことなど書いていきますね。

ルーテル教会とは?

 みなさんは、中学校・高校の社会科や歴史の時間に、宗教改革という出来事を勉強したことがあると思います。その際に、マルティン・ルターという人が出てきたことを覚えていますか?

 

(私自身も、中学校でルターと宗教改革のことを学んだのが、キリスト教に興味や関心を抱くようになったきっかけでした。その後、たまたま始めて行った教会が、ルーテル教会だったというのも、不思議なお導きです。)

 

 このマルティン・ルターは、アルファベットで書くなら、”Martin Luther”となります。この”Luther”は、ドイツ語で「ルター」とも「ルーテル」とも読むことができる名前です。ですから「ルーテル教会」は、このマルティン・ルターさんの名前に由来しているんですね。

 

 ルターさんは、当時(16世紀)のキリスト教会の色々な問題に対して、教会が定めた多くのきまりや制度やいろんなグッズやアイテムではなく、「聖書のみ」キリスト教信仰の核であるべきであって、また、私たちが神さまの救いをいただくために、私たちが何か人より優れたことをしなければならないというのではなく、私たちを救うのは、ただただ神さまがイエス・キリストを送ってくださり、キリストが十字架にかかり、命がけで私たちを愛し、復活なさって永遠の命を与えてくださった、一方的な神さまのプレゼント=「恵みのみ」によるであり、その恵みを感謝して受け取る「信仰のみ」が大事なのだと主張しました。

 

(1517年10月31日に、そのきっかけとなる文章を、ルターは発表しました。今年2017年は、それから500年です。)

 

 たとえ、私たちの側でどれだけ一所懸命頑張っても、どっぷりと罪の中に浸かっている私たちの努力では、神さまの救いを獲得することなんて到底できっこなく、どうやっても無理であるということを、ルターはよく知っていたのです。神さまが一方的に私たちのことを救ってくださるのでなければ、私たちは永久に救われない、ルターはそのことを強調したのでした。神さまの100パーセントの恵みによってのみすくわれる、私たちはそのことを聖書のみことばを通して知らされ、そしてそのことを信じることあるのみだと。

 

 また、当時の教会がそうであった様に、聖職者・教職者(今で言うなら、神父さんや牧師さんですね)たちだけが教会の中心なのではなく、すべての信仰者がキリストによって神さまのお手伝いをして働く役割へと招かれて、そのために用いられているということも、ルターは主張し(「全信徒祭司性」「万人祭司性」)、これらの立場に立って、キリスト教会のあらゆる面の抜本的な改革をすすめていったのです。

 

 このルターの信仰の流れを汲むのがルーテル教会です。ルーテル教会はドイツからはじまり、その後、ヨーロッパのみならず、アジアにも、アフリカにも世界中に広がっています。

 

 私たちの日本にも、今から1893年にルーテル教会の宣教師が来日して、それ以来、日本各地で教会としての活動が行われています。私たちの教会が所属しております日本ルーテル教団は、1948年に日本で宣教をはじめました。大麻ルーテル教会は、1966年に宣教を開始し、1967年に「大麻ルーテル教会」として、北海道地区によって認められました。また、北見聖ペテロ・ルーテル教会は、1958年に宣教を開始し、1959年に教会としての歩みを始めました。

 

 以上、ルーテル教会の紹介をしてきましたが、大切なことは、「ルーテル教会が正しくて、他の教派(宗派)の教会は間違えている」などという姿勢で立つことではありません。私たちがルーテル教会としてのよいところはこれからも大切にして、でも、他の伝統にある諸教会と一緒に手を携え合い、お互いのよいところを学び合いながら、キリストが与えてくださる愛といのちを、協力して、この国の人たち、そして世界の人たちに伝えていくことが大事です。

 

 「すべての人を一つにしてください」イエス・キリストはそう祈っておられます。私たちもこのイエスさまの祈りを大切にして、この祈りがかなえられるために努めたいと願います。

 

 イエスさまは、「すべての人を」と言っているのですから、キリスト教の枠をも超えて、他の宗教やいろんな考えの人と一つとなっていく努力も私たちにとって大事なことですよね。平和のため、環境のため、人権のため、福祉のため・・・、いろんな分野で協力することを心がけたいものです。

 

(かつて前任地の教会のウェブサイトに掲載していたものを一部変更しました)